日本神話の中でもイザナギとイザナミの物語は特にドラマチックで、一度読めば忘れられないものです。その中でも、イザナギが黄泉の国から帰還した後に行った「禊ぎ(みそぎ)」は、神話の中でも特に面白いエピソードの一つです。今回は、この禊ぎについて少しユーモアを交えて掘り下げてみましょう。

黄泉の国でのホラー体験

まずは黄泉の国でのエピソードからおさらい。イザナギは亡くなったイザナミを追って黄泉の国に向かいます。しかし、黄泉の国のイザナミはかつての美しい姿ではなく、少々...ゾンビ化しておりまして。しかも、イザナギの覗いてはいけないという忠告を無視して姿を見てしまった結果、怒り狂ったイザナミと黄泉の追っ手たちに追いかけられる羽目に!

これ、現代で例えるならば、ホラー映画のクライマックスシーンみたいなものでしょうか。暗闇の中、手に汗握る逃亡劇を繰り広げたイザナギですが、なんとか黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げ切り、巨大な岩で入り口を塞いで「黄泉の国」との決別を果たします。ひとまず、ほっと胸を撫で下ろしたところですが、問題はここからです。

禊ぎの儀式――汚れを洗い流すって大事!

黄泉の国から帰ってきたイザナギは、「黄泉の穢れ(けがれ)」を感じ、心身ともに清める必要があると判断します。そこで彼が行ったのが「禊ぎ」、つまり川での体を洗う儀式です。

現代風に言えば、「黄泉の国帰りだから、とりあえずシャワー浴びてこいよ!」みたいな感じでしょうか。いや、正直それどころではない状況です。黄泉の国の瘴気や、追っ手たちの恐怖が体中に染みついているわけですから、普通のシャワーじゃ間に合いません。

イザナギは川の中で頭から足の先までしっかりと洗い流し、その過程でなんと多くの神々が生まれます。例えば、左目を洗ったときに天照大御神(アマテラスオオミカミ)、右目を洗ったときに月読命(ツキヨミノミコト)、鼻を洗ったときに須佐之男命(スサノオノミコト)が誕生したというのだから驚きです。つまり、禊ぎが単なる洗浄作業ではなく、生命の創造そのものにつながったのです。

禊ぎの教訓――リフレッシュの力

ここで注目すべきは、イザナギが穢れを落とす行為を通じて新たな可能性を生み出した点です。現代社会でも、何か嫌なことがあったり疲れた時にシャワーやお風呂に入ると、心がすっきりすることがありますよね?まさにそれと同じです。

ただ、普通の人間の場合は、シャワーを浴びたからといって新しい神様が誕生するわけではありません。せいぜい、気分がスッキリして「よし、明日からまた頑張ろう!」と思える程度です。しかし、これはこれで十分重要なことです。

まとめ――日常に禊ぎを取り入れよう

イザナギの禊ぎのエピソードは、単なる神話の一場面ではありません。日常生活にも適用できる教訓が隠されています。それは、「嫌なことがあったらリセットする時間を作る」ということ。

例えば、仕事でストレスが溜まった日には、帰宅後に湯船にゆっくり浸かるとか、好きな音楽を聴きながらリラックスするといった――現代版の禊ぎ――を取り入れてみるのも良いかもしれません。

そして、もし川に入る機会があれば、ちょっとだけ自分の周りに神様が生まれないか期待してみるのも面白いかもしれませんね!(もちろん、川での安全には十分気をつけて!)